高松高等裁判所 昭和33年(ネ)258号 判決 1960年7月16日
控訴人 被告 国 代表者法務大臣 井野碩哉
指定代理人 大坪憲三 外二名
被控訴人 原告 前田長寿
訴訟代理人 山口春一
主文
原判決中「原告のその余の請求を棄却する」とある部分を除き、その余を取消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は本件控訴を棄却する、控訴費用は控訴人の負担とするとの判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述は、控訴代理人において、
(一) 美良布町農業委員会が本件許可申請書の進達を遅延したことには過失はない。当時、高知県知事は農地法第三条による申請について、それが同条第二項各号に該当しなくても農地法第一条に掲げる目的からみて不相当と認められる場合はこれは不許可とすることができるとの見解を持つており、この見解に基いて県下の農地行政が行われていた。本件申請もこの場合に該当するものであつたから、同農業委員会としても本件は到底知事の許可をうける見込がないと考えたのと、関係者間において充分示談の見とおしもついていたことから、まず関係者間の示談のあつせんに努力を傾けたわけで、その間申請書の進達をいそがなかつたとはいえ一応常識の範囲を逸脱しない宥恕されるべき行為であつたということができる。
(二) 同農業委員会の進達遅延行為と被控訴人主張の損害との間に法律上の因果関係がない。当時の高知県知事の農地法第三条に関する見解が前記のとおりであり、これに加えて、係争農地は水利の便が悪いため被控訴人のように右農地から一里半も離れたような者には到底適正な耕作が期待できない事情もあつたので仮に進達が速かにされていたとしても、県知事は必ずこれを不許可としたであろうことは当時の状況から考えて疑をいれる余地がない。また、仮に県知事がこれを許可するような形勢を示したとしてもその場合には、訴外西岡勝盛が事前に本件差押債権額を代位弁済することによつて被控訴人による右農地の競落をはばんだであろうことが確実に予測された事案である
と述べたほかは、いずれも原判決事実摘示と同一であるから、(ただし被告の答弁事実に対する原告の主張事実の部分に昭和二十七年とあるのは昭和二十八年の誤記である。また原告の乙第九、第十号証に関する認否は後記のとおりで原判示は誤りである。)右誤りの点を除いてここに引用する。
証拠として、被控訴代理人は、甲第一号証ないし第十一号証、第十二号証の一ないし三、第十三号証の一、二、第十四号証ないし第十七号証を提出し、原審証人吉本喜実、二宮周三、弘田之宏、内村千町(第一、二回)、原審及び当審証人藤田瑛(ただし当審の分は二回あるうちの第二回のもの)、山口春一、当審証人前田賢一の各証言、原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果並びに原審における鑑定の結果を援用し、乙号証について、第一号証の五、第四号証、第五号証の一ないし四、第十号証の成立を認め各利益に援用する。第二号証の二、第八号証の一、二、の各成立、第九号証の原本の存在とその成立、第十五号証の成立をそれぞれ認める。その余の乙号各証が真正なものかどうか知らない、と述べた。控訴代理人は、乙第一号証の一ないし五、第二号証の一、二、第三、第四号証、第五号証の一ないし四、第六号証の一ないし三、第七号証、第八号証の一、二、第九号証(写)ないし第十五号証を提出し、原審証人小林享、原審及び当審証人三谷稲重、萩野勝重、当審証人藤田瑛(第一回)、西岡勝盛の各証言並びに当審における検証の結果を援用し、甲号証について、第十五第十六号証が真正なものがどうか知らないがその余はすべて成立を認め、第十二号証の一、第十三号証の一を利益に援用すると述べた。
理由
一、債権者有限会社阿土林産、債務者宇井忠康間の別紙目録記載の農地についての高知地方裁判所昭和二七年(ヌ)第二七号農地競売事件において、被控訴人が、昭和二十八年四月九日高知県知事から同農地の競買適格証明書の交付をうけた上、同年五月十八日の競売期日に競買申出をして、その最高価競買人となり、同年六月六日美良布町農業委員会(以下単に委員会という)に高知県知事あての農地法第三条による所有権移転許可申請書を提出したこと、しかし、委員会がその申請書の進達について速かな措置をとらずにいるうち、同年九月七日高知地方裁判所は被控訴人が競落期日までに農地法第三条に基く県知事の許可書を提出しないことを理由とする競落不許決定をし、同決定が同年九月十四日に確定したことはいずれも当事者間に争がない。そして、成立につき争がない乙第一号証の五、第五号証の一ないし四、第八号証の一、二の各記載と原審証人吉本喜実、内村千町(第一、二回)、小林享、原審及び当審証人藤田瑛(当審は第一、二回)、三谷稲重の各証言(ただし、以下の認定に反する部分を除く、その部分は信をおくことができない)を綜合すると、委員会が被控訴人の申請書の進達につき速かな措置をとらなかつた理由及び進達までの経過は、本件農地については訴外西岡勝盛がその父萩野勝重と宇井忠康との間の売買契約に基いて昭和二十六年秋作から事実上耕作しており、同人は専業農家で、昭和二十六年はじめ頃ダム建設工事のためにそれまでの居住地を立退かされて美良布町に転住してきた者であつたこと、そして右の売買は実質的には西岡と宇井との売買ともいうべきもので、ただ西岡がその所有権取得につき県知事の許可をうけたのは昭和二十八年三月十八日で、その登記手続をしたのは同年三月二十四日であり、前記競売事件の競売開始決定が登記された時よりも約十一ケ月の後であつたが、同人や萩野の言によれば右許可申請の書面を実際には本件競売開始決定の前から委員会に提出して県知事に対する進達を求めていたのに係職員に忘却されてこのように遅くなつたということであり、そのような経過から委員会の委員らは西岡勝盛の立場を擁護するべきものでこれをくつがえすような他の者の権利取得は一般的に許可すべきものではないとの見解に傾いたこと、殊に委員らは被控訴人の本件許可申請は、同人の前記肩書地である在所村谷相の宅から本件農地までほぼ六粁の遠距離であり、本件農地が水利の便の悪い土地であるなどの点から、農地法第三条第二項第八号の農業生産が低下することが明らかである場合に該当し、到底これを許可することができないと考えたこと、しかし、同委員会は従来競売適格証明申請の進達事務などを実際上委員会の職員に委ねていたところ、さきに被控訴人の前記競買適格証明申請があつたときに右職員の手でこれに委員会の名で許可相当の意見を記載した書面を附して県知事に進達しており、しかも被控訴人は県知事から競買適格証明書の交付をうけてしまつていたこと、このようなことから被控訴人の本件許可申請書の進達をする前に、まず委員会が西岡と被控訴人との間をあつせんして西岡から或程度の金銭を出させることによつて被控訴人の申請を撤回させるのが妥当であるとの見解が委員らの支持をえて被控訴人側から幾度か競売手続に関係があるから速かな進達を願う、旨の申入れがあつたが委員らは申請書の進達を保留したままで、幾度か右両名殊に被控訴人側に対し委員会のあつせんに応じて話し合いをするように求めたこと、しかし、被控訴人側は速かに被控訴人に許可を与えるかそれとも時価相当額の金銭を提供するという条件でなければ話し合いの余地がないとの態度を一貫し、到底円満な示談を成立させることが不可能であつたので、委員らも同年九月初旬頃に遂にあつせんを断念し、同年九月十五日に本件申請についてはじめて正式の会議を開いた上で同農地は西岡の小作地であるから被控訴人の競買は農地法第三条第二項第一号の不許可事由ある場合に該当する、また前記第八号の事由にも該当するとの意見を正式に定め、この意見書を附して同年十月二日被控訴人の申請書を高知県知事に進達したこと、以上の経過が認められる。この認定を左右すべき証拠はない。
そこで、以上のとおり委員会による申請書の進達が速かに行われなかつたことを理由として、はたして国家賠償法第一条第一項に基く国の賠償責任が肯認されるべきか否かにつき考察する。
二、農業委員会が農地の所有権移転許可申請書の提出をうけたときは、それが国民の権利に関係する事柄であり、また委員会自身がその問題に関する決定機関ではないのであるから、委員会はその記載のいわば形式的な点に別段の不備がない限り、できるだけ速かに内容につき所要の調査をとげて意見を定め、できるだけ早く申請書を知事に進達をするべきであつて、前記のような経緯があつたにもせよ、関係者間のあつせんに籍口して、許可申請者の意向に反して申請書の進達を保留することが当をえないことはいうまでもない。控訴人は、委員会が申請書の進達を速かに行うことができなかつた事情の一つとして、本件申請に農地の所有者を宇井忠康と表示した不備があつたと指摘するが、この記載はむしろ真実の法律関係に合致したものであり、その他委員会が実際上農地部会の会議を開きうる頻度の点などを考慮にいれても本件の進達が遅すぎたことを否定しえないのであつて、この限りにおいては被控訴人の主張は理由があるといわねばならない。
次に、農地法第三条は後述のように当該の権利移転が同法第一条に示された国の政策目的に照らし看過し難い不相当なものではないかどうかの判定を知事にゆだねており、この判定にあたつて当該農地に関する既往の経過などの事情をも一応参酌せざるをえない場合があることを一概に否定することはできないが、元来この制度は法律上何びとの立場を最も優先させるべきかの判断をすることを目的とするものではなく、また知事は競合する申請者のうちのいずれの者の取得原因が真であり否であるかの終局的な判定をなしうるものではなく、これらの事柄は登記制度などをも含めた見地から別に定められてゆくことであるから、知事は特別の事情がない限りは当該申請者自身に存する事情だけについてその者に農地法上の不適格性があるかどうかの判定を行うべきものと解するのを相当とする。殊に本件のように、当該農地についてすでに所有権移転の許可をうけて耕作している者があつてもその者の権利の取得が差押登記におくれるものであるというような場合には、差押債権者はこれを法律上無視して前所有者の自作地又はその不耕作地として競売することを求めることができる立場にあり、したがつて該競売において最高価競買人となつた者は農地法第三条の許可の前提である一般法律関係の上においては右差押登記後の取得者に対して自己の権利の優先を主張しうるものであるから、知事並びに委員会は右最高価競買人からの所有権移転許可申請に対してはすでに同種の許可を他人に与えてしまつたことからの予断にとらわれることなく、まして委員会の失態を糊塗することを考えることなく、申請者自身について存する事情を検討してその者の不適格性の存否を判定するのが当然だといわなければならない。前記の経過によれば、委員会のとつた態度には右の諸点において批判を免れないものがあり、また差押の効力の判断について誤謬をおかしたものといわなければならない。
しかしながら、以上の諸点にかかわらず、以下に被控訴人自身について存する事情を検討すれば、同人を不適格者と断定した委員会の判定の結論は結局支持しうるものであつて、これに反し本件申請が確実に許可されるべきものであつたことを前提として、これによつて受けるべき利益を委員会の前記進達遅延によつて喪失したとする被控訴人の主張は肯定し難いから、被控訴人の本訴請求を認容することができない。
三、思うに、農地法第三条の農地の権利移動の制限に関する制度は、当該申請が農地法第一条の目的に照らして看過し難いほど不相当なものかどうかの判定を知事にゆだねており、これは国民の自由を制限するものであるからその点で極めて慎重な行使を要するのはもちろんであるが、他面いわゆる農地改革の成果を維持し農業生産力の増進を図る等公共の福祉を維持するためのかなめとなるものであるから、知事はこの意味においても厳正且つ確実にその権限を行使しなければならない。それゆえ、当該申請が若し右にいう不相当なものでないならばこれを許可すべきであると共に、他面それが農地法第三条第二項所定の絶対的な不許可事由に該当する場合その他同法第一条の目的に照らして看過し難い不相当なものであればこれを許可してはならないのであつて、このことは右第三条の規定の表現からも疑いをいれないのである。
ところで本件において、委員会が農地法第三条第二項第八号に該当するとの意見を決したことは前記のとおりで、また前記証人藤田瑛の証言によると、高知県知事のこの種の事務を分掌している高知県農地開拓課においても委員会の右の意見とほぼ同一の見解を抱いていたことが認められるのであり、右条項は申請者の経営能力に加えてその者の耕作の熱意をも検討して決すべきものであるところ、乙第一号証の五の記載と原審証人弘田之宏、内村千町(第一、二回)、原審及び当審証人三谷稲重、萩野勝重、当審証人前田賢一、西岡勝盛の各証言並びに原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果(ただし以下の認定に反する部分を除く、その部分は信をおくことができない)を綜合すると、
(一) 被控訴人は古くからの農業者ではあるが、終戦後に本件農地から二粁ほど離れたところにある在所村朴の木というところに五、六十坪位の澱粉、菜種等の加工工場をつくり、本件申請の二、三年ほど前からは前記肩書地から生活の本拠を同工場に移していたもので、その後も右工場のそばにある一反歩ほどの小作農地を耕作してはいたが、すでに自家の農業にはあまりたずさわつておらず、また同人が本件農地の耕作をさせるつもりであつたという次男長司は当時未だ十七才であり、被控訴人はこの長司を美良布町の県道ぞいのどこかに住居させることを計画していたというが、右住居の計画もこれといつて具体化していたものではなく、その上同人には農業だけでなく自転車の販売や自動三輪車の修理などの営業を営ませるというのであつたこと、なお被控訴人の長男賢一は被控訴人の前記肩書地に居住していて農業を専業としており同所には自動三輪車もあつたが、本件農地は右肩書地からは山間の道路を含めて六粁ほども離れていたこと、ところが本件農地は水の便が悪く、耕作者がしばしばその見廻りをしなければならない土地であること、このように被控訴人らの農業者としての実情と本件農地の位置、水利との対比において、農業生産力の低下を招くことを強く疑わせる事情が存したこと、
(二) 被控訴人が本件農地につき競買の申出をした経緯は、同人はさきに訴外弘田之宏に金銭を貸与し、弘田はこれを前記の阿土林産に貸与していたが、当時いずれの回収も困難な状態で、一方阿土林産の申立による本件農地の競売は最低競売価格が極めて低価に定められていたのにかかわらず競買の申出をする者がなかつた。このため弘田は阿土林産の代表者内村千町の意向をもうけた上で、被控訴人に対し、自分らは農業者ではないから右農地を競落する資格がないが、被控訴人は可能であること及び右競売事件の経過を告げた上で、被控訴人がこれを競落することをすすめ、且つこれによつて極めて低価に所有権を取得しえた上はその時価を勘案してこれによつて前記関係者間の貸借の清算をするべきことを依頼し、被控訴人がこれに応じたのであること、なお内村、弘田は本件農地は競売開始決定前から訴外西岡勝盛が実際上耕作していることを当時知つていたものであり、被控訴人もこれを弘田らから聞いていたものと推認されること、そして被控訴人の競買申出は弘田がその代理人となり、またそのための競買適格証明申請の手続、本件所有権移転許可申請の手続並びにこれに関連する委員会や高知県農地課員らとの折衝などは内村がその代理人となつて行動したが、前記のように委員らのあつせんの試みに対して、被控訴人側は所有権移転の許可を与えるかそれとも時価相当額の金銭を提供するのでなければ応じないという態度を固執し、しかもその間に被控訴人は右委員会の委員三谷稲重ほか一名に対し、「この土地は作りもするが譲つてもよい。場合によつては息子の宅地にしてもよい」旨述べたことがあること、このような諸点において、本件申請が債権回収の方便であることに主たる意義があること或は実質上阿土林産のための名義貸行為にすぎないこと等を強く疑わせる事情が存したこと、
以上の諸点が認められ、これらによれば前記第三条第二項第八号に該当する疑いが濃厚で、少くともこれに準ずる不相当な場合ということができるし、更にまた前記証人前田賢一の証言及び被控訴本人尋問の結果によると、
(三) 事後の事情として、被控訴人の次男長司は昭和三十一年八月頃から高知市へでて自動三輪車の修理業を経営し農業には一切たずさわつていないこと、被控訴人自身も昭和三十四年春頃、その以前から経営の思わしくなかつた朴の木の前記工場建物を一部売却し、一部はこれを高知市へ運んで、長司方の建物として使用しただけでなく、同工場敷地及び附近の一反歩の小作地は所有者に返還してしまい、このようにして朴の木をも立退いてしまつたこと、そしてその後は肩書地の家にいたり高知市の次男のところで暮したりしていることをそれぞれ認めることができる。被控訴人は、これを本件農地を取得しえなかつたことによる計画の挫折によるものと主張するが、このような主張は同人の当初の計画に関する主張の根拠薄弱なことを裏付けこそすれ、到底そのままに信ずることができない。そしてこれらの事後の事情を前記(一)、(二)の各事情と併せ考慮すれば、本件申請を不許可とすべきものとする委員会の前記の意見の結論及びこれとほぼ同一の意見を持した高知県農地開拓課の見解の結論は十分支持しうるもので、さきに県知事によつて被控訴人に競買適格証明書が交付されたことが当をえないものであつたといわなければならない。
なお競買適格証明書の交付は農地の競売事件を円滑に処理するために最高裁判所事務当局と農林省との事務上の了解に基いて行われるに至つたものであるが、それがその後における県知事の農地法第三条に基く許否の判断を法律上拘束する効力をもつものでないことはいうまでもない。
四、以上のとおりであつて、これと異る見解に立つ被控訴人の主張は採用できない。また、県知事がはじめから前述のようなすべての事情をそのままに了知していたとまでいえないことはもちろんであるが、委員会の進達をうければ当然これに対して所要の調査をすることになつたであろうし、前記証人藤田瑛の証言に徴しても、県知事が本件申請を許可する可能性は実際上も殆んどなかつたものと認められる。そして知事がこれを不許可とすれば裁判所の競落許可もまた与えられないことはいうまでもないから、被控訴人の権利の取得、したがつてまたその侵害、損害発生等の主張は何ら確実な根拠あるものということができない。
したがつて、被控訴人の本訴請求はその余の点の判断をするまでもなく理由がないから棄却すべきで、原判決中その請求を認容した部分は失当であるからこれを取消し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九十六条、第八十九条に則り、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 谷弓雄 裁判官 橘盛行 裁判官 山下顕次)
(別紙目録は省略する。)